発声の世界

大学一年の冬休みからボイトレに通い出しました。


K先生と言う綺麗な女性でした。体験レッスンで、発声の奥深さを知りました。そして入会しました。2回目3回目は別々に違う先生を選んでレッスンしました。


やはり最初に教えてくださったK先生がいいと思いK先生をそれからはずっと選び続けました。


いやーなかなか難しいんですよね正しい発声って。独学の悪い癖がずっと邪魔をして、、、

けどレッスン三ヶ月して、すごく良い発声が出来ました。嬉しかったし成果を感じましたがそれっきりでした。あの1時間だけ。

それが2年半ずっと、、、


良くならないんです何も。寧ろ声がでずらくなってきて。2年半ってすごくすごく長いです。

毎日毎日、ボイトレに励んだ日々は一つも成果に現れない。お金と時間ばかり消えて行く。


2年の夏にK先生がボイトレスクールを辞めるって、僕が友達と韓国旅行中に電話がきて。

僕は一瞬戸惑いましたが、先生はすぐ


うちにレッスン個人で通いに来る?


って提案してくださって、そこからは先生の家にレッスンをしに行く事になりました。


僕、当時は京都よりの大阪市民でしたが先生の家は京都でうちから電車で一時間でした。

遠かったです。遠かったけど通いました。

そして先生に初めて会ってから2年半、、、


上京しよう思う。


と告げられました。レッスンの終わりを意味します。頭真っ白になりました。

どうしたら良いんだろって


完全な依存でした。先生に付いていたらいつか大丈夫って縋っていました。

実情は全くで成長はありませんでした。


長く付き合ってきた初めての先生自身も途中から何故か声が出なくなる謎の症状に悩まされてました。いつだったかな、習い始めて一年半後あたりから。その時にも先生から離れられましたよね。

そもそも韓国旅行の時だってそう。


辞めるタイミングは幾つかありました。気づかなかった。いまだから分かることです。


次は二人目の先生について書きます。

脱線2

先週の土曜無料ギターレッスンに行きました。


ギターこのままじゃダメだと思い。

音楽活動を休止した大きな理由の一つであります。


そしてレッスン受けましたが、、、

どーやら僕は対して上手くないのにギターに対して高いプライドを抱いてたみたいです。


先生のある言葉にムッとしてしまいました。



こんな話したらギター弾きから怒られそうですが、僕かなり手が小さいんです。しかし、少し崩したらGも弾けますし、Bも弾けます。

だいたいのコードは弾けます。しかし、僕の手は女子よりも小さくてビックリされるレベルなんです。


唯一出来ないのが親指ミュート。本当に届かないし届かせても他の弦に触れてしまう。

先生に指摘されましたが出来なくて。これを指摘されてムッとしたわけじゃありません!手の大きさの問題かと言った時でした。

僕がムッとしたのはこの後。


いや、俺も小さいけどいけるよ?


はぁ!?どこがやねん!!??オメーでけーがな!は?それで小さい?笑っ そーですかそーですか笑っ


って言いませんもちろん。心の中で。

ぼくから見て先生の手は明らか大きかったんです。


小学生でも出来るからマサキさんも大丈夫って言われましたがその小学生が手小さいのかも分かりません。


はあ、歯車がなかなか合いません。僕はその先生のところには通いません。


レコーディング環境は整っていて良いのに、、、最初抱いた感情は消せませんし消えません。

バンド時代

カラオケすら行ったことの無い僕が大阪で初めて音楽活動に踏み込みました。


それがバンドサークル。

しかも古い洋楽をするバンドでした。洋楽聴かない僕としてはかなりハードなサークル。


なんでここに入ったんだろう?って思いますが、実は色々重なってのそれだったんです。


カラオケに行き始めたのもこの時。初めてのカラオケはまあ、歌いにくかったです笑っ

なんか違うな〜って感じで(・_・;


サークルは結局一年持たずでした。

秋にした文化祭のライブからの文化祭後にしたライブで辞めました。消えるように、、、

うたに対し大きな違和感を抱き始めた時期です。思うように全然、練習しても練習しても歌えない。それでライブするのが辛くなったからです。それまでは独学。ネットが先生でたまに本。しかし、バンド辞めて直ぐくらいに初めてボイトレに通う事を考えました。


独学がカッコいい


って内心思ってたし自分をかなり過信してました。今思えばよくあんな自信あったなと感心します。今じゃ底辺レベルな自尊心ですよ笑っ

自分を変えたいって強い思いから始まったボイトレはまあ、長く僕を苦しめますがそれは次回に、、、