脱線 1

過去を振り返りながら現在を書きたいと思います。


9年過ごした大阪から一月に上京して今、ある壁にぶつかってます。


音楽やなくて仕事。上京したら音楽してることオープンにすると決めて職場の人には言ってました。短期間にめちゃくちゃ仕事変えてしまった。一つ目は採用決まって、勤務当日にシフトを減らすって言われたんです。ギリギリの生活で行くつもりだったから週一マイナスはかなり痛くて。で、辞めました翌日。約束違いますもん。週5は必ず働けるって約束したのに。


次は看護助手。福祉です。しかも精神病棟。

3日に患者さんに襲われると言うか絡まれたり、色々な人がいて関わってたら気持ちがくすんできて。凄く精神的にキツすぎて5日で辞める。

こんな短期間に仕事こんな変わったの初めてです。


今の仕事、警備関係です。警備員としての採用を希望してましたがまさか内勤採用。

まあ内勤業務もするし、現場で警備もします。

いまずっと警備しています。仕事、時間がむちゃくちゃなんです。

現場は一時間以上かかるし、勤務開始1時間前集合。だから朝5時くらいに起きて軽い朝のボイトレしたりしてます。帰宅時間は23時30分。

10ー21と決まった仕事なんです。

けど9時から10時に説明受けたりする時間は無給。21時上がりと言っても何だかんだ解散時間は21時30分。帰りも行きも、電車だけでなくバスも使いますからまあ、帰宅は遅くなります。帰ってシャワー浴びたら0時。ご飯食べて少し落ち着いたら一時。


からの今日も同じ仕事です。今日は朝ごはん抜き、ボイトレ無しで睡眠に当てました。


ギターも歌も出来ない。ずっとこれが続くわけじゃないけど、どの現場も遠いし直ぐには上がれない。交通費しか出ません。手当はなし。

なんだか馬鹿らしくなった昨晩の思いでした。


頑張らなきゃ今日も。

生まれ育った地を旅立つ

大学進学は大好きな勉強だった英語をさらに勉強したく、外大に進学を決めました。


歌手なりたいのになんで?って思われるかもしれませんが、僕はそんなすぐに歌手になれるとは思っていませんでした。だって、カラオケすら行ったことないし歌も歌わない人がそんなすぐに夢掴めないと感覚的に分かりました。


だから、好きな勉強しながら音楽に励み卒業時は語学を用いた仕事に就職しようとしてました。旅行関係を考えてました。就職してもなお、歌手を目指すと。


そして僕は新たな期待と、不安なく期待ばかりで18年生まれ育った岡山県を後にしました。

大阪での長い長い、果てしない苦行の始まりでした。

音楽との出会い

前のブログにも書いてましたが、此方ではなんの情報もないので書きます。


幼少期から音楽が大好きでした。母の車の中でかかってるカセットテープからは当時の流行りの曲が沢山かかってました。

母の職場の若い人が母にダビングして渡してたみたいです。


そのテープの曲は90年代前半のCDが膨大に売れた時代。たまに80年代の母好みの曲がありました、中森明菜とか。僕はELTにどハマりしてました。


僕は車の中で聴いた音楽が大好きでした。当時のトレンド曲を沢山きき、中学では音楽に凄い詳しい友達が出来て彼が選んだトレンド曲を集めたMDを貰ったりしてました。僕の中学時代はORANGE RANGEやYUI、コブクロや倖田來未なんかが大活躍してました。まあ、20年入ったばかりもなかなかCDは売れていました。


高校でも音楽は沢山聴いていました。

僕が音楽を志そうと思ったのは高3の春頃?夏前くらいです。運命の夜、星が綺麗な夜空でした。僕は耳にイヤホンを刺して何となく外にでました。実家は山と川しかない田舎で洗われるくらいに綺麗な星空でした。

そんな中、耳に雰囲気を彩ったのは

バックストリートボーイズのshow me the meaning of being lonelyと言う曲でした。

英語は好きですがリスニングに弱い僕はあまり理解が追いつかなくて、けど凄く凄く切なさが伝わり感動しました。あれ、意味わかってないのになんでこんなに、、、

ぞくっとしました。音楽凄いって魂が震えました。そして思いました。僕の人生、ずっと音楽があったなと。辛い時、嬉しい時、恋してる時、失恋したとき、受験のとき、、、その場面その場面で全て音楽がありました。一気に僕は夜空ごと音楽に吸い込まれました。


これだ!って。

高3、受験や進路を考える時期、僕は歌手を目指す事をこの夜に決意しました。


これが僕が音楽を志したキッカケです。当時17歳、現在27歳です。丁度10年経ちましたね。

カラオケすら行ったことも、歌うのが好きなわけでもなく笑っ

直感的に。次の記事に僕がどう音楽の世界に入っていくかを書きます。